今井町の歴史・縁起

 今井町の成立は戦国時代末期の天文年間(1532 ~ 1555)と考えられていますが、今井の地名自体は至徳3年(1386)の『興福寺一乗院文書』に登場しており、戦国時代より以前に興福寺の荘園として存在していたことが確認されています。

 平城京と吉野を結ぶ古代以来の幹線道路「下つ道」と大和平野南部を東西に貫く古代以来の幹線道路「横大路」とが直交する交通の要衝八木の札之辻の西南の方向約700 メートル程のところに今井の町があります。ここは、国の名勝大和三山の一つ畝傍山の北に位置しています。
 今井は戦国時代末期の天文年間(1532 ~ 55)に称念寺を中心とする寺内町(寺院の境内に形成された町)として成立し、その後在郷町となりました。町は東西600 メートル、南北310 メートル程の広さで、周囲には堀・土居の痕跡が認められ、環濠城塞都市の面影を今に伝えています。かつては町の周囲に九つの門が配され、防備は厳重でした。また、町人による消防組織が整い、防災意識の高い町でした。富商も多く住んでいました。貝原益軒(えきけん)の『和州巡覧記』(元禄五年刊)に、「今井 広き町也、富人多し、大和の国中にて、豊穣(ほうじよう)なる所也」と記されています。
 現在、保存地区内には慶安三年(1650)建築の今西家住宅をはじめ、八軒の町家が重要文化財に、二軒の町家が奈良県指定文化財となっています。地区内に立ち並ぶ六百軒余の町家の内、八割が江戸時代に遡るものと考えられています。この町並みの中に、本堂が重要文化財となっている称念寺などの寺社が散在し、高密度な歴史的空間を形成しています。江戸時代の面影を残す約500 棟の歴史的建造物があり、全国で最も大きな規模の地区となっています。こ
のため、平成5 年12 月に我が国第一級の都市型の町並みとして、重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのです。以来、町家・社寺などの修理・修景事業が続けられており、往時の町並みが次第に甦りつつあります。
 

重要伝統的建造物群保存地区とは

昭和50年の文化財保護法の改正によって伝統的建造物群及びこれと一体をなしてその価値を形成している環境を保存しようとする制度です。

 
今井まちなみ交流センター華甍にある今井町のジオラマ